東日本大震災活動 吉田由美レポート

報告日:2011年5月8日

4月13日の活動日当日は午前3時半すぎに横浜の自宅を出て、川崎市で鈴木健一会員と合流。日産自動車からお借りしていた「エクストレイル・ディーゼル」にて仙台市内のボランティア拠点「つなプロ」事務所へ向かいました。ちなみに念のため、スタッドレスタイヤ装着のものです。

エクストレイル・ディーゼル活動はこの前から始まっていました。

まずは、ボランティア活動をする人のために高速道路料金を免除する許可申請。私は横浜市に住んでいるので横浜市役所や神奈川県庁へ問い合わせをしましたが、横浜市ではたらいまわし。神奈川県では“地方自治体などからボランティア団体への要請書を提出して欲しい”ということで、しかもすぐには許可が下りないとのこと。出発までに時間が無かったため、地元での申請を諦め、私たちが行く前日に被災地へ向かう竹岡会員からの情報を基に東京都・港区で申請を行いました。申請は各自治体で差があるようです。

東北自動車道は途中、路面状況の悪い個所があり、速度規制されている場所もありましたが順調に仙台に到着。しかし一般道に入った途端に渋滞。後で会ったボランティの方に聞くと、従来の通勤渋滞とボランティア渋滞が増えてきた、とのことです。

午前9時少し前に集合場所の「つなプロ」到着。「つなプロ」事務所では先に仙台入りしている工藤貴宏会員と合流しました。

午前10時からのミーティングで、それぞれが担当する地域とクルマが決まり、私はレンタカーのマツダ・プレマシーで宮城県の最南沿岸部、山元町へ学生ボランティアを中心とする7名と共に向かうことにありましたが、プレマシーでは定員オーバー&荷物が積めないため、急遽別のクルマに乗り換えました。今回の行き先の中では最も遠い地域とのことで、早目に出発。

山元町 学校カーナビが使用不能なため、同乗していたボランティアの方々にi-phoneなどで協力していただき山元町へ。山元町の中央を縦断する国道6号線を軸に、海側、陸側に少し入った場所にある避難所数か所が私のチームの目的地でした。この国道6号線を挟んで海側は津波被害を受け、陸側は地震被害。明暗がくっきりわかれています。が、陸側でも川の近くや国道6号線をくぐった道の近くでは津波の影響を受けていました。

私が乗せたボランティアの皆さんは2手に分かれ、連絡を取りながら順番に効率よく避難所を回ります。ちなみに彼らの仕事は、刻々と変わる避難所での必要な物資を聞き出し、後日対応するということ。

ボランティアの皆さんを車から降ろすと、避難している人たちから見えないような場所に車を移動し、待機。これは避難所でナーバスになっている被災者の方々に対する配慮です。

帰って来たボランティアは車に乗る前に、さらに避難所から見えない場所に移動して、うがいと手洗い、アルコール消毒などをしてから車内に乗り込みます。なんでもその前の週にはボランティア内でインフルエンザが流行したことから徹底した衛生管理を行っているそうです。しかし、それをもし避難している人が見たら気分を害してしまうかもしれないため、こうして目に触れない場所で行っています。

また、「ボランティアは避難所のトイレを使用してはいけない」ため、女性は事前に水分を摂らないなどの対応をしていますが、コンビニや避難所になっていない町役場などは使用可能。幸いなことに、私の担当したエリアでは、山元町役場とコンビニが使用可能のため、助かりました。

予定していた避難所をすべて回り、事務所に戻ったのは午後5時半すぎ。仙台市内は慢性的に渋滞しているという感じです。

前日に行ったAJAJ会員から「ボランティアの人たちは疲れているから移動中は休ませてあげたほうがいい」との話がありましたが、私が担当したチームは車内で和気あいあいで、さながら移動中は遠足という感じ。ボランティアもチーム寄って温度差があるようです。

今回、日帰りでのボランティアが可能ということで、女性会員でも参加しやすくなったと思います。が、ひとつ問題点も浮かび上がりました。今回、私はいち早く参加を決め、当初は別日程を予定していましたが、直前になって日程への変更を余儀なくされました。

それは後から参加したいという人がその日程に集中したからなのですが、その日程で決まっていたものを別日に変更するとなると諸々調整しなければならないことがあり、個人的にはあまり気分の良いものではありませんでした。(もちろん何もなければ問題ありませんが)今後はそういった部分への配慮を期待します。